大友青のブログ

大友青が創作活動においてなんやら書くようです

『共感は必要なのか』の件について

こんにちは、大友青です。

2018年1回目のテーマは『共感は必要なのか』について。

よく読者レビューで『共感できた・できなかった』なんてコメントを見る事があります。

共感とは一体なにを指しているのでしょうか?

いつもですが、今回は特に独自調査と個人の見解が入ります。

小説は一人称か三人称個人視点で描かれている事が多い傾向にあります。
話の語り手の想いに共感が出来るか出来ないかなのでしょうか。

もしもそうならば、共感は小説において必要なものなのか、と言う事が疑問に思った事です。

きっとジャンルや、形式(純文学、大衆小説、ケータイ小説、etc)にもよるのだろうと思います。

そこで調査すべく、二千ほど様々な作品のレビューを見てみたところ、傾向から少なくとも読者は『共感』を求めている人が多いようです。※ジャンル問わず

ただ、そこに作家目線が入ってしまうと「いや、この作品に共感なんて求めたらあかんやろ」というものもしばしば。

たとえば、タイトルは言いませんが、恋愛を題材にした哲学的な大衆小説(これが成り立つ)に共感できた・できなかったなどのコメントが多数よせられています。

作家は題材を通じて伝えたいメッセージがあるはずなのですが、読者は目に見える題材を楽しむ傾向にある。
あくまで傾向ですよ。『この作家は何をいいたいのか』を主軸に楽しんでいらっしゃる方ももちろん大勢います。

商業でやるのならば、共感の有無は必要な要素の一つになっているのは間違いないと思います。

私はどちらかと言うと、読書は自己啓発のようなもので、小説を通じて別の人生を疑似体験したり、文章に隠された目に見えない何かを感じるのが好きなので、題材って特別視してない方だと思うのですが、題材を楽しむにしても、メッセージを楽しむにしても、共感できる・できないは付きまとってきます。

2017年にたくさん読書した中で気に入った本って個人的には『共感できない本』が多いのですが、そういう共感できない本が好きな人もいれば、共感できる本が好きな人もいる。
※私は自分とは全く違う考えを知れる事がとてもおもしろく感じます。なので共感できない本が好きになる確率が高いのです。


つまり、共感できてもできなくても、それは一つの評価点にしか過ぎず、問題視すべきは、どちらにも属さなかった時に、読者に与える印象は『…………えーっと』であるという事です。
この本についてコメントしてください。
と、質問した場合、
『めちゃくちゃ共感できた! 昔あった出来事を思い出したよ(しみじみ)』
『全然共感できなかった。主人公の思考回路はぶっこわれてるとおもう』
などと最初の話ネタになるわけです。
そこから話が膨らみ、あれもよかった、これもよかったなどと順に出てくる。

どちらにも振り切る事が出来なかった時には印象が中途半端な作品になってしまうのですよね。
『うーん、なんとも』

共感に限らず、何かに対して突出しているものがなければ、その本の『面白味』を語るのは難しいし、それは読者に響いていないという事。

たとえば、ホラー小説で『めちゃくちゃ怖かった』というコメントは、作家の『怖い』が読者の『怖い』と共感しているわけですよね。

主人公の感情以外にもこういった共感の形もあるわけです。

広くに突き刺さる物語は理想なのだと思います。
狭くてもいいからとにかく突き刺さる物語を私は意識しようと思っています。

作品を作る上で、何が最優先に来るのかは作家それぞれのスタイルによりますから、作品を構成する要素を書き記したものを用意して、パズル(組み替え)して気持ちを整理してみるのもいいかもしれません。

結論:共感という存在は様々な形をしていて、必ずしも心理描写に対して説明すべき事象ではない。
   そのため、大きくまるっと丸めて”必要”