『選考落ちの肩書きをプロフィールにのせるか』の件について
こんにちは、大友青です。
今日の標題は『選考落ちの肩書きをプロフィールにのせるか』の件について。
結論から申し上げておきましょう。
好きにしなはれ。
ですが、他人から見た時の見え方の違いについて今日はお話しようかと。
例1.2014年群像新人賞三次選考、2015年すばる新人賞最終選考、2016年すばる文学賞大賞受賞
こう書いてあると、物凄い力を持った人に見えますね。
これは選考落ちというマイナスの結果に対して2016年にタイトルをとったというプラスの結果が加わり、またそれぞれのタイトルの大きさから『凄い人だ』と思わせます。
そして、肩書きだけなのにこの人がめちゃくちゃ努力してきた人なんだな、と勝手に思わせます。
つまり、あえて選考落ちの結果を書くことでプラスに作用するパターンと言えるでしょう。
例2.2016年群像新人賞三次選考選出
これはいかがでしょうか?
誰しもが知ってるタイトルなだけあって、『ほほぉ』となりつつも、ちょっと真顔でいられる感じですよね。例1みたいな人いたら、もう真顔でいられないですもんね。
これはタイトルをとった事がない作家が、『俺、群像で三次までいってんで! やばない!?』っていう結果が出せなかったけどプロセスを褒めてほしいアピールのようにも見えます。
でも、群像で三次まで言ってたら相応に力を持ってる事は間違いないのは理解できるので、どちらかと言うと、この例もプラスに作用しますね。次はとれるといいな! ってなりますね。(こういう時、なぜか人は上から目線になりますよね『次はとれるよ!』とか、一体、俺の何を知ってるんだこいつは……みたいな、あ、脱線)
例3.2016年 大友青プレゼンツ 本書くの好きで賞 三次選考選出
では、これは?
大友青って誰よ? その賞すごいの? 賞金やばいの? 大賞とるとメディアにとりあげられるの? そんな謎な賞で三次選考とは!?
ってなりますよ。
反応に一番困るやつです。そして本人がめっちゃ嬉しそうにしてたら、さらに反応に困りますね。
『お、お、おん』ってなります。
それ嬉しいんだ? じゃあこいつはここまでやなって勝手に低レベル判断されちゃうこともあります。
例2との違いはタイトルの大きさにあります。しがないタイトルであると選考落ち結果を載せてしまった場合、マイナスに作用されるケースがほとんどな気がしますね。
こういったように、肩書きの見え方というのは状況や経歴、タイトルの大きさによってプラスにもマイナスにもなりうるものである事がわかります。
自身の肩書きなので、自身の判断で載せればよいのですが、他人からすると白けてしまったり、上記のように視覚情報を頼りにした思い込みによる偏見を与えてしまうかもしれません。
またタイトルの大きさというのは、世間一般の広義と、自分の中でのそのタイトルの大きさというのは温度差・差異があります。
僕の中で『本かくの好きで賞』で大賞を受賞することが人生の1番の目標だったとしたら、三次選考までいったら嬉しいですよね。
来年こそは大賞とったる! って本人のモチベーションにもなるとは思います。
でも、その感情は表舞台に出す必要があるものなのでしょうか?
プロフィールというのは、『他人にみてもらう』もの、自己紹介です。
そこに自分の視点でしか考えられなくなってしまうと意味がない。
で、あれば、世間一般の感性を優先して、こんなことが書いてあったら、見た人はどんな感情になるかな? っと一考してから肩書きとして載せるか、載せないか、判断してみるのがよいかもしれません。
『本書くの好きで賞で大賞とることが人生の目標です! 現在、三次選考選出までいきました!』
って書いてあるとまた見え方が変わりますものね。
色々言ってますが、経歴にはなんでも載せるべきだとは思います。
今回はあくまで、プロフィール。
自身のPRポイントとして、それを活用するか、しないか、のお話でございました。
結論は先述しましたが、『好きにしなはれ』です。